ミニマリスト研究所 

ただいま好きな事だけしててブログも白玉のように真っ白です

根本を変えなきゃ意味がない


ミニマリストになるべく、モノを捨て、コンパクトにしてきました。


行動が伴わなきゃ意味がないと知って、モノを捨ててきました。

でも根本が変わってないと意味がない

と最近になって思うようになりました。


根本ってなんだ?って考えると

自分の価値観や思い込み、自分の奥底の考え方のことです。

ネットの世界も有限

以前ブックスキャンで本を電子化する記事を書きました。

これによって処分しがたい本を全て部屋から一掃できました。


でもこの前、ブックスキャンした本をダウンロードして、バックアップ用に外付けHDDに保存している作業をしながら思ったのです。

これじゃあ昔と変わらない

他にもitunesにいれた音楽や映画を整理して、一日を潰しました。

物理空間はすっきりでも、PCの中はデータでパンパンでした。

散らばるデータたちがイヤで必死に整理整頓して収納していました。

ネットの世界も有限なので、データの保管に困りました。

外付けHDDすらもいつか壊れ行くものなので、他にも保管しなくちゃと気が気でなかったのです。



結局ナニカを失うのが不安だったことに気づいた

PCが普及し、クラウドが普及し、保存用ディスクは超コンパクトになった。

でもやっていることは、アナログTVに録画した番組をビデオテープにダビングし、一心不乱にラベルを貼ってビデオを棚に並べながら悦に入る。

そんな一昔の時代と変わらなかったのです。


見た目(部屋)はデジタルのおかげでミニマリストに近づけましたが、

根本(メンタル)はまだまだモノに執着していたわけです。




なにもなくても平気な精神

電子化できるものは今後もどんどんデータにしていく予定です。

デジタル社会の今、活用できるものはどんどん活用すべきだと思います。


でももし、それすらも無くなった時に「平気」でいられるか。

なにもなくなっても自分は生きていける、サバイバル力というか、

自立心」や「余裕」みたいなものが今後のミニマリスト課題になると思います。


これって、ミニマリストに限らず、仕事や恋愛、人間関係にも言えることではないでしょうか。



執着心を手放す


今後の課題ですね。